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話せばわかるなんて大嘘、バカの壁 [その他]

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190503-00559771-shincho-soci

「話せばわかる」なんて大ウソ!
イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人。
互いに話が通じないのは、
そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。
いつの間にか私たちを囲む様々な「壁」。
それを知ることで世界の見方が分かってくる。

「平成で売れた実用書 ベストセラーランキング!」。
そこで1位となったのが、『バカの壁』(養老孟司・著)だ。
『バカの壁』は平成15年(2003年)に発売されて爆発的なヒットとなり、
現在までに444万部を売り上げている。

『バカの壁』発売から間もない頃、
「先生」として登場した養老さんの「授業」。
そこで語られていたことが

「『どうしたらいいんですか』と聞く人は成長しない」

「自分の『個性』に価値があると考える人は進歩しない」

という教えだ。

本の冒頭、第1章に出てくるのは、
養老さんが大学で教えていた時に感じた「バカの壁」のエピソードだ。

薬学部の学生にある妊婦の出産までを追ったドキュメンタリー番組を見せた。
すると、女子学生のほとんどは
「新しい発見がたくさんありました」という反応だったのに対して、
男子学生は皆一様に
「こんなことは既に保健の授業で知っているようなことばかりだ」と答えた。

なぜこんな違いが生まれたのか。
おそらく、男子学生は「出産」ということに実感を持ちたくない。
だから同じ番組を見ても、女子のような発見ができなかった。

「つまり、自分が知りたくないことについては
自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています」

これが「バカの壁」の一種だ、と養老さんは説く。
そのうえで、この男子学生のように
「知っている」と安易に思うことは、危険だという。

「安易に『わかっている』と思える学生は、
また安易に『先生、説明して下さい』と言いに来ます。
しかし、物事は言葉で説明してわかることばかりではない。
いつも言っているのですが、教えていて一番困るのが
『説明して下さい』と言ってくる学生です」

このあたりが、
授業での「どうしたらいいんですか」への違和感につながるのだが、
これだけでは「だって先生なんだから説明するのが仕事でしょうに」
と反発する向きもいることだろう。
そういう人に向けて、養老さんはこう説く。

「もちろん、私は言葉による説明、
コミュニケーションを否定するわけではない。
しかし、それだけでは伝えられないこと、
理解されないことがたくさんある、というのがわかっていない。
そこがわかっていないから、
『聞けばわかる』『話せばわかる』と思っているのです。

そんな学生に対して、私は、
『簡単に説明しろって言うけれども、じゃあ、お前、
例えば陣痛の痛みを口で説明することができるのか』
と言ってみたりもします。
もちろん、女性ならば陣痛を体感できますが、男性にはできない。
しかし、それでも出産を実際に間近に見れば、その痛みが何となくはわかる。
少なくとも医学書だの保健の教科書だのの
活字のみでわかったような気になるよりは、何かが伝わって来るはずです。

何でも簡単に『説明』さえすれば全てがわかるように思うのは
どこかおかしい、ということがわかっていない。

この例に限らず、説明したからってわかることばかりじゃない、というのが
今の若い人にはわからない。
『ビデオを見たからわかる』
『一生懸命サッカーを見たからサッカーがどういうものかがわかる』……。
わかるというのはそういうものではない、ということがわかっていない。

ある時、評論家でキャスターのピーター・バラカン氏に

『養老さん、日本人は、
“常識”を“雑学”のことだと思っているんじゃないですかね』

と言われたことがあります。
私は、『そうだよ、その通りなんだ』と思わず声をあげたものです。
まさにわが意を得たりというところでした。

日本には、
何かを『わかっている』のと
雑多な知識が沢山ある、というのは
別のものだということがわからない人が多すぎる。

出産ビデオの例でも、
男たちは保健体育で雑学をとっくに仕込んでいるから、という理由だけで、
『わかっている』と思い込んでいた。その延長線上から、
『一生懸命誠意を尽くして話せば通じるはずだ、わかってもらえるはずだ』
といった勘違いが生じてしまうのも無理はありません」

養老さんは、続けて、テレビで見ただけで
「わかっている」という気持ちになることの「怖さ」に警鐘を鳴らしている。
これはネット情報が飛躍的に増えた現代にこそ
多くの人の身に沁みる教えかもしれない。

「個性」についての養老さんの話は、次回にご紹介しよう。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190504-00559773-shincho-soci

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10代の頃は 自分を個性的な存在と信じていました。
そのくせ、よく人のせいにしたり、助けてもらったり。
周りを器の大きな人に囲まれていたから、
何とか今に繋げて生きられるようになったと感じています。
転機となったのは、超氷河期と呼ばれた就職難でした。
それまで信じてきた個性等は全く通用しない。
誰もコツなんて教えてくれない。
必要な知識・国家資格は、自分で段取りを決めて獲得しなければならない。
正味、何度も失敗したし、笑い者にもなった。
そのかわり、自分より優れた人達のペースについていけるようになった。
それまでは、強い者は教えるのが下手で意地悪だと決めつけていたが、
そうではなかった。
強い者にとって「自分=普通」であり、
普通の事ができない者を一人前と認識しないだけの話だった。

ネットで何でも能書き調べて超物知りになった気分で、
ネットが出来ない職場の先輩を小馬鹿にするような人いましたけどね。
確実に経験伴っていないし、実感はないけれど受け売り知識だけは豊富。
その先輩は内心は嫌な気分だったでしょうが
職場の空気を壊さないように「よく知ってるね」などとおだててしまい、
本人は調子に乗る一方…みたいな。
私はネットもかなり使いますが、昭和後期生まれで
ネットが無い時代も知っているので使い方は考えています。
ネット含めメディアに踊らされたり
プロパガンダやステマに騙されたりしないように極力気をつけています。

「自分の『個性』に価値があると考える人は進歩しない」というのは
『個性』に基づいた主観から逃れられないからなのでしょうか?
自分の正当性をやたら主張しても、
世間には違う価値観や経験を積んでいる人がいますからね。
個性は大事にしていいと思いますが、
個性という殻に閉じこもっていてはいけないという事でしょうか?

ネットが普及し、デジタルネイティブが大人になろうとする現在、
「真実」の重要性が低くなってると生活の中で感じる
それはネットの中から簡単に真実を取り出せるようになったというのが大きく
主体的に真実を探求しようという姿勢を必要としなくなったから
では、それが良くないことなのか?
それはわからない
この先、身体性の伴う行動よりもバーチャルな体験の割合が増してきた未来、
さらに真実の価値は下がっていくだろう
人類は探求の時代を終えたのかもしれない

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