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自衛隊の良い話 [その他]

2年前旅行先での駐屯地祭で
例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
 少女「あんたら地元の人間か?」
 団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
 少女「で、何しにきたんや?」
 団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
 少女「私は神戸の人間や。
    はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
 団体「・・・・?」
 少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
    寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
    夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
    私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
    あんたらにわかるか?
    消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
    でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に
守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

2000年7月4日、
20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、
世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。
翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス号」が入港してきたのだが、
折悪しくも2ノット半の急流となっていた
ハドソン河の流れに押された巨大な客船は、
あれよあれよと言う間もなく、
係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の
船首部分に接触してしまったのである。
着岸した「クイーンエリザベス号」からすぐさま、
船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪にやってきた。
相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」
これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、
ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって
「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし
日本のネイバル・オフィサー(海軍士官)の
ユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の
対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。

 自衛隊員A「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」
 自衛隊員B「うえ、この間アブグレイブで
        イラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」
 A「それが、どうも支援デモらしいぞ」
 B「は?支援デモ?私怨じゃなくて?そんなデモ聞いたことねーよ」
 A「俺もねーよ。
  ま、一応、本当に応援だった時の為に
  飲み物とアイスでも用意しておこうや。暑いし」
デモ隊参上
彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた
 A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」
 B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」
デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。
自衛隊員見かねてゴミを拾う、
すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。
そんなこんなで後日
 米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」
 自衛隊「あれ?」
 米&英「あれだよあれ、支援デモ」
 自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」
 米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」
 自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」
と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。
小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw

一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて
家から車で1時間のところにある、
自然博物館の昆虫展に向かっていました。
ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。
あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。
止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。
後方から来た大型トラックに追突されたのです。
一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、
すぐに追突されたと判断できました。
即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、
そこには息子の姿がありませんでした。
子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。
息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。
正直半狂乱になってしまいました。
あのときの私は完全に冷静さを失っていました。
半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。
動けない私は叫ぶしかなかったのです。
追突から時間にして1~2分でしょうか。
いきなり運転席側の変形したドアを
無理やり開けてくれた人たちが居ました。
緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。
私の足が挟まれているのを知った後、
何やらバールのようなもので運転席をこじって、
後ろにずらし私を出してくれました。
 「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」
お礼の前にそう叫んでいました。
すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、
潜り込むように助手席に入っていきました。
他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。
数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。
そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。
と同時に救急車と工作車が到着。
息子は救急隊の方にゆだねられました。
私も両足が痛くて立てなかったのですが、
せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもとヘ這って行きました。
 私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」
 自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。
   命が無事でよかったです」
その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。
 私「もしかして怪我されているんじゃ?」
 自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」
隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ
背中はさらにベッチョリと濡れていました。
普通に考えたら大量出血です。
それでもその隊員さんは笑いながら
「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。
その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。
息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。
治療が終わって息子のベットに行きました。
 「よく泣かなかったね、がんばったね」
と声を掛けてやると、息子は
 「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」
冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、
隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。
その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。
嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。
その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、
その隊員さんの所属を教えていただきました。
駐屯地の場所をネットで探し出しました。
そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。
怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。
初めて入る駐屯地。
意外と来客も多くビックリしました。
どこに行けば良いかも判らず、
車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。
そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。
なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。
午後になっても結局ウロウロ・・・。
と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。
大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。
ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。
 「あの時は本当にありがとうございました!」
この一言がどれだけ言いたかったか、
息子の回復振りを見てもらいたかったか。
色々とお話を聞かせていただきました。
背中の怪我は何かが刺さったのではなく、
車体の金属部分で切った事。17針縫った事。
助けられて自分の子供のように嬉しかった事。
私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。
その後その隊員さんは
普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。
足が完治していない息子を抱き上げ、一緒にバイクに跨ってくれました。
そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、
一緒にバイクに乗っている隊員さんは
まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。
その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。
ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。

広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉。
 市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、
    自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
 市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、
    憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、
    自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う。
 自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」

自衛隊の練度の高さはアメリカでも語りぐさになっているそうですな。
・演習後、アメリカの誇るトップガン出のエリートたちが口をそろえて
 「空自とだけは戦りたくない」と明言。
 エリートのプライドを木っ端微塵に打ち砕かれたか、
 再教育志願者が続出した。
・実弾射撃演習のためにアメリカ派遣された陸自砲兵部隊。
 ばかばかしいほどの命中率にアメリカ側が恐慌を起こした。
 アメリカ側が、「超エリートを集めた特殊部隊を作っても意味がない」と
 本気で忠告してきた(もちろん陸自は通常編成のまま)。
 ついでに、その演習を見に来ていたWWII&ベトナム生き残りの退役将校が、
 「彼らがいてくれればベトコンを一掃できたし、
 あんなに死人が出なくてすんだのに」
 と泣いたというオチが付く。
・ホークだかパトリオットだか忘れたけど、
 演習でアメリカ側の発射したトマホークの迎撃訓練で、
 数十発を全弾撃墜した。
 なお、数十発のうち、後半は超低空・対地誘導その他、
 隠蔽技術をフルに活用した上でこの成績。
スターファイターでイーグル相手に撃墜判定をたたき出した
故ロック氏の例を挙げるまでもなく、
少数で、様々な制約を課せられているが故に、
その制限枠内ギリギリまで戦力を高めようとする
努力の結果なんでしょうけどね。
人種の優越とか、才能とかじゃなくて、
文字通り体が擦り切れるような
過酷な訓練の成果だと思うと、自然と頭が下がります。
こんな人々に守られて、私らは平和と繁栄を謳歌してるんだなぁ、
としみじみ感謝の念を噛み締めることがありますよ。

「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」
吉田茂(昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)

自衛隊と米軍が演習をしたんだそうな。
米軍は敵に向かうときに、
でかい声を出して騒がしく向かっていくんだと。
しかし自衛隊は、無言でほぼ手振りと目配せだけで隊を指揮し、
敵をいつの間にか包囲していた。
日本には忍者がまだ生きていると思われたそうな。

自衛隊の擬装は世界一で各国陸軍の格言になってるほど。
「カムフラージュはニンジャに学べ」
各国の幹部クラスが講習受けに訪れるんだって。

イラク・サマーワ基地の自衛隊が設営したテント群は
杭の位置や紐の角度まですべて寸分違わぬように統一されており、
端から見ればロープは全て重なる状態だった。
これを見た各国の高級士官は、
さすが日本の軍隊は士気が高いと絶賛した。
兵法に、整然と統率され規律の取れた軍隊は
士気が高いため攻撃を加えてはいけないとある。

テレビで見たけど不発弾とかの除去作業(信管を抜くやつ)
世界でも自衛隊でしかやってないらしい
しかも失敗した事がないとか

PKOで自衛隊がカンボジアかどっかに派遣された時
各国がどのレーションが一番美味しいか持ち寄って食べたら
日本が一番レーションが美味しかったらしい
ちなみに最下位は当たり前のごとくアメリカが選ばれたって

誰か日航機墜落の時の
救助にあたったヘリコプターパイロットの話知らない?
ずっとホバリングしてて
任務終えたあと、操縦桿から指がはなれなくなって
人に離してもらったとかいうの。

うちの隊にいたよ ホントの話らしい
ちなみにそのとき吊り上げるのは
陸上のヘリか空自のヘリかもめたのは有名
実際は先にみつけたのは空で吊り上げは陸

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