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なぜ中東では争いが絶えないのか [知識]

中東はインド以西のアフガニスタンを除く
西アジアとアフリカ北東部の地域の総称である。
常に争いの火種がくすぶっていて、
巨大な混沌に覆われているイメージがあるが、
どうしてこれほどまでに収拾がつかなくなってしまったのだろう?

かつて、寛容と知恵と学識で誉れ高かった中東が、
なぜ残虐と暴力とカオスで悪名高い場所になってしまったのだろうか?

それを解き明かすには、この地域の歴史をひもとく必要がある。
海外サイトにて中東に関する歴史的事実がまとめられていたので
見ていくことにしよう。

・スンニ派とシーア派の分裂

西暦632年は、イスラム世界にとってバラ色の年だったに違いない。
追放されていた教団がメッカ入りし、アラビア半島を統一したのだ。
神アッラーの名を掲げ、強大な力をもつムハンマド率いるこの宗派は、
新たな支配の地を手に入れた。

しかし、ムハンマドは後継者を決めないまま死んだ。
これがすべての地獄の始まりとなった。

征服と宗派の確立に全力で取り組んでいたムハンマドは
男児に恵まれなかった。
つまり、正式な後継者がはっきりしないということだ。
ムハンマドの信奉者の多くは、
義理の父のアブー・バクルが最初のカリフ
(イスラム共同体、イスラム国家の指導者、最高権威者の称号)
になるべきと考えたが、
ほかの少数グループは、ムハンマドの従兄弟の
アリ・イブン・アビ・タリブがなるべきと考えた。

この意見の食い違いが宗派の分裂を生み、以来ずっと
スンニ派(アブー派)とシーア派(アリ派)に分かれた争いが
この地につきまとっている。

・スンニ派とシーア派の何世紀にもわたる不和

そうはいっても、ふたつの宗派は最初はなんとかうまくやっていた。
スンニ派のカリフが3人出た後、
4番目のカリフはシーア派のアリがなることで意見が一致していて、
みんながうまく幸せにやっていた。

アリが死ぬとその息子が後を継いだが、
シーア派のカリフはアリひとりという約束だったので、
スンニ派はその息子を無理やり退陣させた。この事件が、
その後1400年にわたる争乱の歴史の口火を切ることになる。

アリの息子をカリフから引きずり降ろされたシーア派は
独自の階級を作り、カリフより上の
イマーム(最高指導者)という階級を作り上げた。
イマームはアリの血統だけしか認めなかった。

ふたつのシステムがかろうじて共存することもあったが、
そうでないときはシーア派が迫害された。
16世紀、オスマントルコが4万人のシーア派を虐殺し、
のちのインドのムガール帝国の皇帝たちは、
シーア派の学者を生きたまま火あぶりにした。
さらに時代は下り、英国の植民地主義者たちが
スンニ派の民兵を雇って、イラクでのシーア派の反乱を抑え込んだ。

当然のことながら、シーア派の積年の恨みは鬱積し、
歴史が示しているとおり、その怨嗟が次々と爆発する傾向にある。

・悪魔と取り引きしたサウジアラビア

スンニ派・シーア派問題が渦巻いている一方で、
18世紀のイスラム改革運動の先駆者
イブン・アブドゥル・ワッハーブの行動が
常軌を逸するようになった。

当時、スンニ派は偶像崇拝禁止のような、
禁止行動事項の膨大なリストを持っていた
(シーア派は偶像崇拝には寛容)。
ワッハーブは、こうした規範をもっと厳しくするべきと考え、
破った者は背教者とみなした。
つまり、コーランは
背教者の殺害を許可しているという解釈をしたのだ。

ワッハーブの考えはスンニ派の間で広まり、
サウジ王室(スンニ派)は
ワッハーブ伝道者たちと同盟を結ぶことにした。
まだ産声をあげたばかりのサウジ王室を承認してもらう見返りに、
潤沢な資金を提供して、ワッハーブ派を後押しすることを約束した。

この契約が功を奏し、サウジ王室は、
強大なサウジアラビアの支配者になることができた。
しかし、これはまた、サウジ王室が
危険で超保守的なイデオロギー地獄にはまっていく結果になった。
彼らがこの同盟にがんじがらめになり始めるのは時間の問題だった。

・第一次世界大戦後に引かれた地図上の境界線

何世紀もの間、スンニ派主流のオスマン帝国は中東の野獣だった。
カリフの位の継続という流儀をまねた強大な力で、
中東をまとめあげた。

そこに第一次世界大戦が始まった。

この戦争はヨーロッパにとってかなりの打撃だったが、
オスマントルコにとっても災禍そのものだった。この戦争が原因で、
オスマン帝国はひと晩にして消滅してしまったのだ。
連合軍のパワーが中東を分割し、地図上に新たな線引きがなされ、
トルコ支配の騒乱から、
シリア、イラク、その他の新たな近代国家がおこった。

問題は、これらの新興国家が
相いれない人たちで構成されていたことだ。
シーア派とスンニ派はいっしょくたにされて、
ただ仲良くやるように言われ、
クルド人、キリスト教徒、ヤジディ族、
その他の人種が各国に広く浅く混在していた。
本質的に、多民族がひしめくミニユーゴスラビアが
たくさんできたような状態になってしまったのだ。
だがユーゴスラビアと同様、
好景気が続き民族間の緊張がない時に限り、うまく機能していた。

・CIAの介入を受けるイラン

こうした情勢の中、最後の役者が出番を待っていた。
1941年、ヒトラーびいきのイラン国王が
連合軍によって退位させられたのだ。
これにより、束の間の民主主義との蜜月が起こり、
結局これが民族間のさらなる緊張へと続いていくことになった。

連合国側にとっては、イラン国民が
民主主義を試そうとしているのを見るのは喜ばしいことだったが、
彼らが民主主義的に選んだ人物は気に入らなかった。

モハンマド・モサッデクは、親民主主義、反イスラムの俗人だったが、
たまたまマルクス主義者だった。モサッデクは
イギリスとつながるアングロ・ペルシャ系石油会社を国有化した。
イギリスがアメリカに泣きつくと、
アメリカは策を弄してモサッデクを排除し、
国王の息子(パーレビ)を後釜にすえた。

しかし、新王は父親と同じような堕落した独裁者だった。
民主主義は弾圧にすぎないと気づいたイラン国民は
別の方法で革命を断行しようとした。そこで駆り出したのが、
地位を追われていたシーア派の強硬路線派伝道者(ホメイニ)だった。

・サウジアラビアの内部紛争

サウジ王室は危うい均衡の上に立っていた。
1970年代、ワッハーブ派はますます過激な思想に傾いていた。
そのアンチシーア派、ジハード好きのイデオロギーは、
中東じゅうの不満分子たちを惹きつけ、
スンニ派対シーア派の緊張を逆なでした。
ここから、アルカーイダが台頭することになる。

残念ながら、サウジは国内の緊張のほうが心配で、
暴走しつつあるワッハーブ派の支援を打ち切ることができなかった。
聖職者たちは、特に革命を煽るわけでもなく、
サウジ王室はただ黙って毒のあるワッハーブ派に金を出し続け、
その考えが大衆に浸透していくのを
手をこまねいて見ているしかなかった。

中国の拷問、水責めのように、少しずつ徐々に
憎悪を煽るようなやり方がゆっくりと効力を発揮し始めた。
サウジ王室は、文字通り莫大な金を費やして
超過激なイスラム原理主義を
レバノン、ヨルダン、シリア、バーレーンのスンニ派に押しつけた。
ここにきて急に、スンニ派とシーア派は、
大きな不信感をもって互いを見るようになった。

・イラン革命

1978年1月7日、小さな流れが大きな川に流れ込み、
怒涛のようなうねりになる瞬間がやってきた。
イラン革命の始まりだった。
この革命で国王(パーレビ)は逃亡し、
アーヤトッラー・ホメイニがその後を引き継いで、
強硬路線のシーア派神権政治を樹立した。
これに慌てたのがスンニ派のサウジアラビアだ。

この革命は、サウジの存在そのものを脅かした。
ホメイニは世襲制はイスラムの教えに反するとあからさまに主張して、
革命後のイランがすべてのイスラム教徒を象徴すると宣言した。
7世紀に端を発したスンニ派とシーア派の正統性の問題が
再び浮上してきた。

それから何十年も、サウジとイランは
自分たちのルールを正当化するために、
この問題をわざと持ち出してきた。
サウジはワッハーブ派にさらに資金を提供して、
シーア派の邪悪さをふれまわった。
イランはイランで、スンニ派サウジの支配に対して蜂起するよう、
シーア派を煽った。
それぞれの介入が、緊張をますますヒートアップさせ、
爆発寸前に追いやることになった。

・イラクの災難

イランとサウジが張り合っている中で、
その争いに歯止めをかけるジョーカーがひとつだけあった。
両国とも、サダム・フセインを実質的な脅威と考えていた。

このイラクの独裁者の激しい気性と絶対的独裁政治が
あらゆる人間を震え上がらせていたからだ。
皮肉にも、その恐怖のおかげで、
この地域の安定をかろうじて保つことができる理性が
多少は働いたといえよう。
獰猛な犬と一緒に檻に入れられたふたりのファイターのように、
どちらも自分から先に動いて噛みつかれる危険を
冒したくなかったのだ。

しかし、2003年が近づいた頃、米国がその猛犬に攻撃をしかけた。
サダムの死で、イランとサウジのパワーゲームの
最後の歯止めが取り除かれてしまった。
さらに悪いことに、この二大国が
イラクの政権空白状態を穴埋めしようとするのを助長した。

サウジは、サダムに排斥されたスンニ派を擁護して、
彼らを新たなシーア派政府に対して武装させた。
一方、イランは、イラクの新しいシーア派指導者たちを支援して、
長年支配されていたスンニ派に対抗する
血で血を洗う殺し合いに突入していった。
こうしたカオスの中で得をしたのは、
イラクのスンニ派ジハード戦士アルカーイダだった。
彼らはその後、ISというあまりに有名な別の名前で呼ばれるようになる。

・パワーゲーム

サダムとイラクの足枷がなくなり、
イランとサウジは権力闘争を劇化し始めた。
レバノン、バーレーン、イエメンも、
それぞれ支持しているのシーア派、スンニ派の味方について
互いに反目するようになった。
そのプロパガンダはモスクやテレビを通して、
戦闘のないほかのイスラム国へも流出し、
またしても、スンニ派とシーア派の分裂という昔の争いが、
中東情勢の最前面に出てくるようになった。

新たな分派の闘争が中東全体で勃発し、
どちらの側にもつかない地域のスンニ派やシーア派にとって
厳しい時代となっていった。
同様にして、イギリスでもアイルランドの問題が
プロテスタントとカトリックの抗争に油を注いでいた。
こうした争いは、昔の宗派分裂抗争を増幅させ、
生死にかかわる問題となっていった。

アラブの春が起こったとき、
独裁者が倒れ、戦闘が勃発し、古い観念が崩れた。
それでもイランやサウジは
新しいリーダーが現われるのを阻止しようとした。
こうした両国のあがきが、ついにシリアで頂点に達した。

・地獄へ向かうシリア

2011年には、昔からの宗派争いは重大な局面に追い込まれていた。
ジハード戦士は最終戦争に備え始め、
サウジ・イランは致命的なチキンレースに突入して、
すべてを破壊することさえ辞さない構えだった。
そして、シリアが内部崩壊した。

すべてはここにつながっていたかのようだった。
サウジはこれを
親イランのシーア派独裁者アサドをつぶすチャンスと見た。
イランは、すぐ目の前で
サウジにスンニ派の隷属国を確立させるわけにはいかないと感じた。
アサドが自国民に毒ガスを使っても、西側諸国が静観していたため、
多くのスンニ派はアメリカやヨーロッパは
シーア派イランを支持していると確信した。

長年、世紀末的なワッハーブ派の教えを吹き込まれていたため、
スンニ派はすぐに集結して、ISのような力をもつ集団になった。

結果的に中東地域は、党派同盟の混乱、危険な権力闘争、
二大国が安易に古臭い分派思想を利用して
自分たちのシナリオを押しつけるという混迷状態に陥り、
以前よりもさらにバラバラになってしまった。
混乱がおさまり、勝者がはっきりするまで、
中東の混迷はまだまだ続きそうだ。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52224763.html

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世界中の人が菜食主義者になると [知識]

●世界中の人間が菜食主義者・ベジタリアンになると何が起きるのか?

健康・道徳・宗教的などの理由から
肉を食べない菜食主義の人が増えてきていますが、
「もし世界中の人々が菜食主義者・ベジタリアンになったら、
どんな変化が起こるのか?」ということを解説したムービーが
「What If The World Went Vegetarian?」です。
人が「肉を食べない」という選択をすることで
地球規模の大きな変化が起こることが
よくわかるムービーとなっています。



もし地球上の人間がみんなベジタリアンになったら、
地球にはどんな影響があるでしょうか?

ベジタリアンの割合は人口全体から見るととても少なく、
アメリカとカナダでは4~5%ほどにとどまります。
一方で、宗教を理由に肉食を避けることが多いインドは
人口の30%がベジタリアンです。

地球上に存在する多くの人は肉を食べるため、
現在、家畜として200億羽の鶏、15億頭の牛、
10億以上の羊、10億近くの豚が存在します。

もし地球上の人間がみんなベジタリアンになったら、
これらの家畜は消えます。
では、家畜が消えると何が起こるでしょうか?

家畜を育てるためには多くの土地が必要。
現在はアフリカ大陸の大きさに等しい、
3300万平方キロメートルという広大な土地が
家畜を育てるための牧草地として利用されており……

さらに、家畜の飼料となる穀物を育てるための土地も存在します。

家畜が世界から消えると、
今ある牧草地は作物を育てるのに向いていないので
放っておくと砂漠化する可能性があります。

ただし、人間が土を豊かにしてやることによって
森や草原に変えることも可能です。

家畜のために使われていた土地に森ができると、
地球環境が変化します。
牧畜は地球温暖化の理由の1つだと考えられていますが、
木は二酸化炭素を吸収するため、
木が増えると地球上の二酸化炭素が減少して
地球温暖化の進行を抑えることが可能。

また、牛など反芻動物の出すげっぷやおならに含まれるメタンガスは、
二酸化炭素の25倍も温室効果があると言われています。
この点、家畜が世界から消えるとメタンガスの発生量も減少。

森林の増加やメタンガスの減少を総合してみると、
家畜がいなくなれば15%も温室効果ガスを削減できるそうです。
これは地球上から飛行機・電車・車をなくすよりも大きな効果で、
科学者の中には温暖化に歯止めをかけるための戦略として
「肉食を減らす」という方法を提唱している人も多くいます。

また、地球全体における水の消費のうち
70%が農業に利用されています。
例えば牛肉1kgのために使われる水の量は1万5000リットル。

豚肉の場合は6000リットル。

鶏肉の場合は4000リットルです。

植物になると利用される水の量はぐんと減り、
シリアルに使われる穀物は1600リットル。

果物の場合は900リットル。

葉物野菜について言えば
1kgあたり300リットルの水の消費ですみます。

1キロカロリーあたりの水の比率に置き換えると、
お肉1kgに含まれる水の量は
果物5kg、野菜7kg、穀物20kgに相当するとのこと。

では、地球上の人々がベジタリアンになることで
生まれるデメリットは何でしょうか。

まず、家畜の副産物であった
レザーや動物の脂を使った化粧品などは、
これまでのように安価でなくなります。

さらに大豆などより多くの作物が必要になってくるので、
作物を育てる土地が必要です。
そのため、家畜がいなくなって生まれる土地は
自然状態に戻るのではなく、多くが農耕に使われるはず。

また、家畜によって生計を立てている農家は
現在10億人いると言われており、
多くは発展途上国の農家や小規模農家です。
これらの人々は家畜がいなくなることで農耕に転向したり、
牛乳や卵の出荷に専念したりなど、変化を余儀なくされます。

各国では徐々にベジタリアンが増加していますが、
一方で、実は世界では全く逆の動きも起こっています。
インドや中国など人口の多い国が裕福になることで、
肉の消費が増えてきているのです。
そのため、他の国で肉の消費が減っても、
地球全体で見ると肉の消費は増えているのが現状となっています。

http://gigazine.net/news/20160328-world-vegetarian/

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 [知識]



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人間は偏見の塊 [知識]

人間の脳は1秒間に1016回という
現存するいかなるコンピューターよりも強力な処理を行うことができる。
だが、人間の認知には偏りがある。
このおかげで、しばしば判断が狂い、誤った結論を下す。

そうした認知バイアスを紹介する前に、
論理的誤謬(ごびゅう)との違いをはっきりさせておこう。
論理的誤謬(ごびゅう)とは、論理的な論証における間違いだ。

例えば、人格攻撃論法、すべり坂論法、循環論法、
威力に訴える論証などが挙げえる。
他方、認知バイアスとは、思考上の欠陥や制限、すなわち記憶の誤り、
社会的帰属の誤り、記憶の誤りなどに起因する判断の欠陥のことだ。

社会心理学者の中には、認知バイアスは
効率的な情報処理に役立っていると主張する者もいる。
それでも、このせいで酷い間違いを犯すことはよくある。
ここに覚えておいて損はない認知バイアスを挙げておこう。

1. 確証バイアス

人は自分に同意する人物に同意したがる。
人が自分と同じ政治的意見を持つサイトにばかりアクセスしたり、
同じ価値観や趣味の持ち主とばかり付き合うのもこのためだ。
同様に、自分の価値観を揺るがすような人や集団、
あるいは情報源からは遠ざかる。こうした選好が、
行動心理学者バラス・スキナーが言う確証バイアスだ。
人は無意識のうちに、自分の偏った意見を増強する意見のみを参考にし、
そうでないものはいかに正当なものであろうとも無視してしまう。
逆説的ではあるが、インターネットはこうした傾向をさらに助長した。

2. 内集団バイアス

確証バイアスに多少似ているのが内集団バイアスだ。
これは生まれ持った部族的な傾向であり、その大部分が
いわゆる「愛情ホルモン」オキシトシンに関連している。
この神経伝達物質は、グループ内の人との絆の強化を促すが、
部外者に対しては逆の効果を発揮する。
余所者を怪しく感じたり、恐れたり、軽蔑したりさせるのだ。
こうして、見知らぬ者を差し置いて、
仲間の能力や価値を過大評価してしまう。

3. 賭博者の誤謬(ごびゅう)

誤謬というが、思考傾向のバイアスである。
人は過去の出来事が未来の結果に影響を与えると考え過ぎてしまう。
その典型的な例がコイン投げだ。5回連続で表が出たとしたら、
人は次は裏が出る可能性が高いと考えがちだ。
しかし、確率的には裏も表も相変わらず50%で変わらない。
統計学者が言うように、各回の結果はそれぞれ独立しており、
表と裏が出る確率はそれぞれ50%なのだ。
これに関連して、ギャンブル依存症の要因にもなる
ポジティブな期待バイアスもある。
つまり、運の流れはやがて変わるはずで、
幸運はそこまで来ていると錯覚させるのだ。
また、ホットハンドの誤謬にも関連する。
これは新しい人間関係は
前回よりも良いものになるという感覚と同じものだ。

4. 無駄遣いの正当化

無駄遣いをしてしまったとき、
その買い物がお買い得だったと正当化したことがあるだろうか?
これこそが購入後の正当化という、買い物などで
まずい決断をした後に気分を良くさせる一種の心理メカニズムだ。
買主のストックホルム症候群とも呼ばれ、
特に高価な買い物をしてしまった後に
無意識のうちにそれを正当化しようとする。
社会心理学者によれば、一貫性を貫き、
認知的な不協和音を避けようとする心理的欲求に起因するそうだ。

5. 蓋然性(がいぜんせい)無視

車のドライブに恐れを抱く人は少ないが、
飛行機恐怖症の人は結構いる。
空を飛ぶことは非常に不自然で危険な行為に思えるかもしれないが、
実際には交通事故で死ぬ確率は、
飛行機が墜落して死ぬ確率よりもはるかに高い。
統計的には、交通事故に遭う確率は84回に1回であるのに対して、
飛行機墜落事故に遭う確率は5,000回に1回だ。
にもかかわらず、人間の脳はこの明白な理屈が分からない。
同様にして、階段からの転落や食中毒など蓋然性の高い事故よりも、
テロに巻き込まれることを恐れる。
社会心理学者キャス・サンスティーンはこれを蓋然性の無視と呼んだ。
人間はリスク感覚はしばしば正確ではなく、
比較的無害な行為のリスクを過大評価し、
より危険なものを過少評価する。

6. 観測選択バイアス

それまで気づかなかった物事に気づくと、
その頻度が増加したと思い込んでしまう効果のことだ。
その格好の例が、新車を買った後で、
同じ車種を色々なところで見かけるようなるケースだ。
妊娠すると、周囲に妊婦が大勢いることに気がつき出すのも同じだ。
私たちは心で選択した物事に意識を向けるようにできている。
問題は、大抵の人がこのバイアスに気がついておらず、
その物事が増えたのだと勘違いすることだ。
ある出来事が偶然のはずがないと思わせるのも、
この認知バイアスのせいだ。

7. 現状維持バイアス

人間は変化を恐れる傾向にある。
こうして、なるべく変化が少なそうな現状を
維持できる選択をするようになる。
言うまでもなく、これは
経済から政治まで様々な場面において当てはまる。
選挙ではこれまでと同じ党に投票し、
レストランでは毎回同じものを注文するのもこのせいだ。
このバイアスの問題点は、別の選択肢が劣っており、
状況を悪くすると思い込ませることだ。
「壊れてないものを直すな」という諺にすべてが要約されている。

8. 負バイアス

人は悪いニュースにばかり目がいく傾向がある。
また、悪いニュースをやたらと信用し、
良いニュースは疑いの目で見る。
進化的には、悪いニュースに注目する方が適応的だったのだろう。
だが、今日では本当に良いニュースを無視して、
悪いニュースの中で生活している恐れがある。
例えば、心理学者スティーブン・ピンカーは、
犯罪、暴力、戦争などの不正義は確実に減少しているのに、
人々は世の中が悪くなっていると考えていると論じる。
これこそが負バイアスの典型例だ。

9. バンドワゴン効果

意識されることはあまりないが、人は右へならえが大好きだ。
世の中にあることが流行ると、個人の脳は機能を停止して
一種の集合意識状態になり、それに追従しようとする。
これは必ずしも大きな集団である必要はない。
家族や職場の同僚のような小さな集団でも起こりうるのだ。
バンドワゴン効果とは、集団の中に普及した行動や社会規範、
あるいはミームの原因となる効果だ。
これに証拠や動機などは関係がない。世論調査が
個人の意見を操作するものとして批判されるのもこのためだ。
このバイアスは周囲に順応したいという欲求に根ざしている。

10. 投影バイアス

人は常に心に囚われているため、しばしば
意識や選好の外にあるものを予測することが困難になる。
つまり、殆どの人間が自分と同じように考えると
根拠もなく想定しがちだ。
これは投影バイアスあるいは偽の合意効果という、
他人が自分と同じように考え、
自分に同意するはずだと思い込むことの原因になる。
これによって、自分がごく普通であると勘違いをし、
ありもしない総意があるかのように振る舞うようになる。
過激派グループが
自分たち以外にも同じ意見の人間が大勢いると考えたり、
ある人が選挙の当選者や試合の勝者の予測に自信過剰になるのも、
これが原因だ。

11. 現在バイアス

人間は未来の自分を想像することが本当に苦手で、
行動や予測はその影響を受けている。
大抵の人間は楽しいことは今すぐ味わい、嫌なことは後廻しにしたがる。
貯金をするより今すぐ使いたがるのも同じ例だろう。
それゆえに特に経済学者や医療関係者に注目される理論だ。
1998年の研究では、被験者に
今後一週間の食事メニューを決めてもらうと
74%がフルーツを選択したが、
その日のメニューを決めてもらうと70%がチョコレートを選択した。

12. アンカリング効果

相対性の罠とも呼ばれるこのバイアスは、
人が限定的な要素しか比較しない傾向を指す。
典型的な例は、セール中の商品を買い物するとき、
その値段の違いは気にするが、
絶対的な値段自体はあまり気にしないケースだ。
レストランがメニューに非常に高価な料理と
より手頃に見える料理を載せておくのはこのためだ。
高価過ぎず、安過ぎもない、中間の選択肢が良く選ばれる理由でもある。

というわけで、どんなに公明正大で偏見を持たずに判断しようとしても、
脳にはなんらかのバイアスがかかっている事実を認める必要があるだろう。
いかに自分が理性的で理論的であると思っていても、
実はそうでもないということを自身で理解する必要があるのかもしれない。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52200463.html

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イエスかノーか、白か黒か [知識]

あなたは人生の勝者か負け犬かのどちらかだ。
あなたは賢いかバカのどちらかだ。
そして、物事は正しいか間違っているかのいずれかだ。
イエスかノーのどちらかしかない。
 
こうした考えが、オール・オア・ナッシング思考だ。
結婚や家族問題のセラピスト、アシュリー・ソーンさんによれば、
こうした思考法を用いると、選択肢が二つしかなくなってしまう。
物事は白か黒かのどちらかで、中間のグレーゾーンは消える。

オール・オア・ナッシング思考は
どんな状況にも当てはめることができる。
自分自身に対する見方や評価も、しばしばこうしたものになりがちだ。
この思考によって、自分が人として価値がある存在なのか判断し、
経験や世の中の出来事に意味合いを与える。
「これが得意だ」あるいは「苦手だ」、
「これができる」あるいは「できない」といった具合だ。
完璧主義者や心配性な人、
自己評価が低い人にこうした考えが多いらしい。

オール・オア・ナッシング思考には様々な弊害がある。
視野を狭めてしまうし、極端でありえない期待の温床となる。
物事のポジティブな側面(成功や賢さなど)が
完璧なまでに実現しないと気が済まなくなる。
しかし、こうしたことは起こりえない。
そして、ネガティブ側の意見が選ばれる。
その結果、自分を卑下したり、起きた経験を否定的に評価する。

そこに間違う余地はなく、成長が織り込まれることもない。
例えば、ソーンさんの依頼主は、
「ひどい一週間だった」と話し始める。
それどころか、後退したとすら思っている。
彼らは悪い部分のみをあげつらい、
「分かります?! 私はどうしようもないんですよ!」と嘆く。

しかし、ソーンさんが彼らと話しを続けると、
依頼主が気づいていないいくつものよい側面が見えてくる。
だが、オール・オア・ナッシング思考はこうした見方を阻む。
前向きな側面は見過ごされ、前進する意欲も失われてゆく。

そんな思考様式にはまり込んだ人に、
凝り固まった物事の見方を解きほぐす方法を
ソーンさんがアドバイスしてくれた。

1. 結果と自分の成長を切り離す

結果をもとに自分を評価すると、
その答えは流動的でしかも滅多にポジティブにならない。
例え一時の結果がよくても、
絶えず変わるものであるためにポジティブな気持ちが長続きしない。
そこで、もっと内面にしっかりと根付いた資質に
意識を向けてみるのだ。
例えば、思いやりや誠実さ、
あるいは他人への共感や家族思いといったことに目を向けてみよう。
心が成長しているのであれば、
一時の結果が悪くても後に成功へとつながる。

2. 「or」ではなく「and」

「自分は善人か(or)、悪人だ」と考えるのではなく、
「善人で(and)、悪人だ」と考えるのだ。
つまり、「自分にはよい面がたくさんあるし、
よい行いもたくさんしているが、
たまには間違いを犯すこともある」わけだ。

あるいは、
「最高の一週間か(or)、ひどい一週間」だったと考えるのではなく、
「素晴らしいこともあったし(and)、嫌なこともあった」と考えるのだ。
「and」を使えば断定的にならずに済み、
他人や自分どちらもより理解できるようになる。

3. よい面に目を向ける

ソーンさんは依頼主に、
毎晩寝る前その日の出来事を2、3書き留めるという課題を与える。
そして、そこから分かるよい側面も書き出してもらう。
例えば、「仕事に行った」と書けば、
頑張って働いたという証明になる。

だが、ソーンさんの依頼人はこれを過小評価したがる。
「仕事に行かざるを得なかった。さもなければクビだから。
何よりも、誰だってやっていることだ」といった具合だ。
だが、病欠の連絡してさぼることも可能だったのにそれをしなかった。
すると、こう返す。
「確かにその日は仕事に行ったが、
2ヶ月前に体調が悪くて丸一週間休んだよ。
これじゃ、勤勉とは言えないね」

オール・オア・ナッシング思考を止めることは、
完璧になれということではない。
その瞬間の100パーセントである必要はないのだ。
今日は仕事に行った。それだけでも、自分の素晴らしさを示している。
このような考え方をすれば、自己評価はずっとマシなものになり、
やる気や活力が漲ってくることだろう。

4. あらゆる選択肢を考える

オール・オア・ナッシング思考で判断すると、
情報が限定的にしか考慮されない。
例えば、「息子は野球か、サッカーをやる」という判断は限定的だ。
そうではなく、息子がスポーツに興味があるなら、
もっと興味を持つスポーツは何だろうか、
あるいはスポーツ以外の活動や
スポーツと一緒に楽しめる活動は何だろうかと考えてみる。

例えば自分の政治的指向が
革新派、あるいは改革派と自らにレッテルを張らず、
自分は一方を完全に支持しているのか、両方とも不支持なのか、
それとも中間なのかと考えてみる。
こうして自分の意見をカテゴリー化することも非常に役に立つ。

5. 以下の質問に答えてみる

・自分の価値とは?
 こうした価値は自分の思考、疑問、決定にどう現れているのか?
・問題のポジティブな面とネガティブな面、
 それぞれにある良い点と悪い点は?
・何が事実で、何が思い込みか?
・今の気分や過去の気分は?

そうした感情をリストアップすると、
状況ははっきり白黒つけられないということが把握しやすい。
例えば、「就職の面接中、自信も不安もあった。
恥ずかしくも、誇らしく、またワクワクもしていた。
だから、面接は何もかもがよかったわけでも、悪かったわけでもない」
と判断できる。

オール・オア・ナッシング思考は柔軟性に乏しく、あまり役に立たない。
これを解きほぐして広い視野を持てば、
インスピレーションや勇気が湧いてくるだろう。
他人とのつながりも充実し、
豊かで生き生きとした人生につながるはずだ。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52199700.html

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